科学は、生きている水を扱うことを避けてきた。
水と空気には触るな━━
という不文律が研究者の間で伝えられている。
その理由は、はっきりしている。
古来、水や空気は身近な存在で、
ありふれており人々の興味を引かないからである。
興味を引かないものには、研究費が出ない。
現実は経済優先である。
しかし、科学の実験には、
溶質としての水(材料の溶解・希釈・洗浄・濃度勾配)は、
補助材料として欠かせない。
機能性(働き、反応性)は無視して、
水はH2Oという檻に入れておこう。
便宜的に、こういうことになっている。
しかし、H2Oは現実世界や生き物の体の中には存在しない。
私たちが、毎日、飲んでいる水はH2Oではない。
生きた水である。
自然界の物質を溶かし込み、
物質からエネルギーを絞り出したエキス(溶媒)である。
実在している水はエネルギーの化身である。
H2Oという記号は純水つまり蒸留された水を表している。
エネルギーの抜け殻である。
この種類の水は発達した特徴や性質を持たない。
科学者は生きた水の状態を知ろうとしない。
水はH2Oで終わり。
水に溶けた物質はどうなったか、のみに興味を示す。
科学の実験においては、
主役は物質で、水は脇役となる。
したがって、物理化学の教科書では、
水についての解説は、数ページで終わりである。
水は生命維持には欠かせないことは、誰でも知っている。
しかし、多くの人は水の正体は知らされていないし、
知る機会がほとんどない。
ヨーロッパにおける数少ない水の研究の先駆者、
ヴィクトル・シャウバーガー(オーストリア)は
H2O(純水)のことを「幼い」水と呼んだ。
この水は生硬で飢えている。
赤ん坊のように手の届くところにあるものを
何でもつかんでしまうと表現している。
幼い水は生体にとって危険な水である。
幼い水だけを飲んでいると人は衰弱し、
やがて死んでしまう。
この水は体内から生命活動に欠かせない
ミネラルと微量元素を搾り取るからだ。
「不純物」を適度に含んだ状態になると水は、
成熟して生きた水となる。
生き物が生命維持のために不可欠としている水は、
死んだ水ではなくパワーのある水である。
こんな事実も知らされないで人々は、
いろんな水を飲んでいる。
体に危険な純水も堂々と販売されている。
逆浸透膜(RO膜)を通した水は「幼い水」である。
浄水器は身体にとって、好ましくない。
とはいえ、世界で水道水の水をそのまま、
飲めることの出来のできる国は、
世界で数か国しかない。
RO膜を通した水を飲める人たちは
一部の裕福な人に限られる。
前述したとおり、
RO膜の水は、死んだ水である。
全世界人々にとっては水に関しては、
選択肢はない。
危険な水を飲むか、
死んだ水飲むか。